ピラビタール

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「猫にヴィーガン食を与えるべきではない」という判断について

■倫理的判断の普遍化可能性

誠実な倫理的判断は、普遍化可能性を備えていなければならない。普遍化可能性とは倫理的判断がもつとされる性質であり、「ある状況である道徳判断をしたなら、それと類似したあらゆる場面で同じ道徳判断を下したことになる」という性質を指す(以下、倫理的判断と道徳判断とを特に区別しない)。

 

具体例で説明しよう。

 

電車内でAさんが、高齢者が目の前に立っているのに席を譲らずに座っていた。これを目撃したBさんは、Aさんに「どうして座っているんだ、高齢者には席を譲らなくちゃダメじゃないか」と注意した。この時Bさんは、「高齢者には席を譲るべきである」という普遍化可能性のある道徳判断を下したことになる。もしこのしばらく後、Bさんの前にも高齢者がやってきたのに、「私は今ちょっと疲れているので……」と呟いて寝たふりをしたら、先のBさんの発言は普遍化可能性を欠いており、誠実な道徳判断ではなかったということになる。

 

CさんがDさんにお金を貸しているとする。Cさんは「君はボクにお金を返すべきだ」と要求した。この時Cさんが誠実な道徳判断に基づいて発言したなら、「借りたお金は返すべきである」という普遍化可能性のある判断を下したことになる。つまりCさんは「借りたお金を返す」という義務を自身に課したのである。もしCさんも別の人にお金を借りているのに、「自分は返さなくてもいい」と考えるなら、Cさんの発言もやはり普遍化可能性を欠いていて、道徳判断としては失格だと言わねばならない。

 

分かりやすく言えば、道徳判断はダブルスタンダードになってはならない、ということだ。他人の行為には厳しく、自身の行為には甘く評価するような者は、道徳的な議論に参加する能力を欠く。

 

 ■猫にヴィーガン食を与えること

さて、本題である。ヴィーガンが飼育している猫にヴィーガン食を与えることについて、とんでもないことだと憤る人たちがいる。ペットにまで菜食を強いるなどとんでもない。そもそも猫は肉食動物じゃないか。自分がヴィーガンであるのは勝手だが、猫にまでそれを押し付けるなんて、と。今回は、このように憤る人たちの発言を分析する。この発言が誠実な道徳判断に基づくものならば、発言者にいかなる義務を課すのかを明らかにしたい。

 

まず、犬は肉食性に近い雑食動物であるのに対して、猫は肉食動物である。例えば、猫は植物成分であるカロテンをビタミンA(レチノール)に変換できない。また、必須脂肪酸への依存度が高く、リノール酸とアラキドン酸を摂取させる必要がある。私も講義で、「ベジタリアン用の食事を猫に与えている飼い主さんがいたら、やめるように指導すること」と習っている。「猫にヴィーガン食を与えるべきではない」という判断には、確かに根拠がある。

 

こうした事情から、猫の飼育はヴィーガンに難題を突きつける。飼育者(「保護者」という語の方が適切かもしれない)は、家族の一員に適切な栄養を与える責任を負う。一方で、倫理的なヴィーガンは、動物を犠牲にすることを避けなければならない。こうして、猫と暮らすヴィーガンは、家族の健康維持のために他者を殺す営みに加担すべきか、家族の健康を損なってでも他者への危害を避けるべきか、というジレンマを突き付けられるのである。

 

とはいえ、このジレンマは早晩解消されるかもしれない。まだエビデンスが少ないことと私自身が詳しく調べていないため断言はできないが、植物由来のフードで十分に彼らの栄養要求を満たすことができるという証拠が蓄積しつつあるようだ。だが、猫にヴィーガン食を与えることの是非は今回は議論しない。今回指摘したいのは別のジレンマについて、すなわち「猫にヴィーガン食を与えるなどとんでもない」と非難する人々が突き付けられているジレンマについてである。

 

「猫にヴィーガン食を与えるなどとんでもない」。これは、動物由来のアミノ酸脂肪酸に対する栄養要求が高い猫に対して、植物由来のフードを与えることを非難するものである。その核心的な主張だけを抽出すると、「動物が本来もつ生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理をすることは許されない」ということになろう。さて、もしこれが普遍化可能性を備えた誠実な倫理的判断であったとしたら、発言者は常に、動物の本来の生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理を非難しなければならない。少なくとも、自身が、そのような飼養管理を支持・加担することは避けなければならない。もしこれを支持・加担するならば、「猫にヴィーガン食を与えるなんて」という先の発言は誠実性を備えていなかった、倫理的判断としては失格であった、ということになる。

 

■本来の生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理

日本のブロイラーは、生後50日ほどで、約3kgへと育つ。ある研究によれば、1957年の時点で56日齢の鶏の体重は約900gであった。半世紀ほどでのこの体重増加は、タンパク質含有量が多く、短時間で成長を可能にする「濃厚飼料」のためである。これが鶏本来の特性をどれだけ無視した飼養管理かについては、「約40日齢のブロイラーで27.6%に歩行に問題があり、3.3%はほとんど歩くことができない」ことを指摘すれば容易に理解できるだろう*1

 

NPO法人アニマルライツセンターが、市場で売られている「もみじ(出汁などを取るために売られている鶏足のこと)」178本を調べたところ、うち105本の足裏に皮膚炎が見られた。重たい体重を支えるのに無理がかかっている上に、地面の衛生状態がよくないことから、足がひどい炎症を起こしてしまうのだ。

 

――枝廣淳子『アニマルウェルフェアとは何か 倫理的消費と食の安全』岩波ブックレット

 

本来、乳牛が自分の産んだ子牛のために出す泌乳量は年間数百から1000kgと言われる。それに対し、日本の乳牛の年間平均乳量は約8000kgである。一日に30~40kgの乳を出す牛も珍しくない*2。酪農家は少しでも生産性を向上するため、収益のため、穀物を主体とした過剰な飼料を給餌し、これが脂肪肝などの代謝障害、第四胃変位、低カルシウム血症などを引き起こす。高泌乳量の牛は産前後に起立困難に陥りやすいが、その原因は必要なカルシウムを大量の乳とともに喪失するためである。

 

2016年に公開された「平成27年度家畜共済統計表」によると、約218万頭の肉用牛のうち、死廃・病傷事故頭数は約111万頭(51%)に及び、約5万8000頭の死廃事故のうち、病気で死亡した肉牛は5万6000頭である。死因は約22%が消化器病、18%が呼吸器病、循環器病が17%を占める。これはそれぞれ、濃厚飼料の多給、過密で閉鎖的な屋内飼育、高カロリー飼料の多給に起因すると考えられる*3

 

黒毛和種霜降り牛肉にするためには10か月齢くらいまで乾草を食べさせ、それ以降は筋肉繊維の間に脂肪を入れ込むために極端に高カロリーの濃厚飼料を与え、粗飼料は反芻を促すために必要最低量の乾燥稲ワラしか与えないようにしている。生草はカロチン類を豊富に含み、カロチンは体内でビタミンAに変わるが、カロチンを摂取すると脂肪交雑が起こりにくく、脂肪が黄ばみ等級が下がることから生草を与えず人為的にビタミンA欠乏症にしている。

……

牛は狭い牛舎内で運動不足のうえに高カロリーの飼料を与えられるためにますます肥満し、内臓に脂肪がたまり、脂肪肝動脈硬化が進み、糖尿病状態になって、と畜直前には目が見えず、自分の脚で歩けないような状態になっていることも少なくない。

 

――松本洋一 編著『21世紀の畜産革命 アニマルウェルフェア・フードシステムの開発』養賢堂

 

茨城県畜産協会の発行する機関誌「畜産茨城」平成21年11月号の記事「家畜の病気「生産病」とは」によれば、と畜場に出荷される豚の90%以上に胃潰瘍の症状がみられるとのことである。「この胃潰瘍は飼養環境や供給飼料の形状や油脂、蛋白質の大量増加及び各種の添加剤等、飼料の調整法の変化がストレスの原因とされている。」これもまた、動物が本来もつ生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理によって引き起こされた疾病に他ならない。

 

■再び、猫にヴィーガン食を……

さて、「猫にヴィーガン食を与えるべきではない」という判断が普遍化可能性をもつ倫理的判断であり、これが「動物が本来もつ生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理をすることは許されない」という判断を含意するならば、その発言者は当然ながら上記の悲惨な飼養に対しても強く非難すべきであろう。あるいは、少なくともその飼養管理を支持したり加担したりすることは避けなければならないだろう。つまり、そうした飼養管理を経て生産された肉や鶏卵や牛乳は、購入を控えるべきであろう。

 

しかしながら、「猫にヴィーガン食を与えるなんて」とヴィーガンを非難する者たちの中には、どうしたわけか、肉食者が目立つのである。自身がこれらの悲惨な畜産場から届けられた肉を摂取しながら、すなわち、動物が本来もつ生理学的・栄養学的特性を無視した飼養管理を支持し、これに加担しながら、ヴィーガンに対しては、そのような飼養管理をすべきではないと非難しているようである。

 

「猫にヴィーガン食を…」と非難する人々は、猫と暮らすヴィーガン以上に困難なジレンマを突き付けられているのではないか。自身の発言を誠実な道徳判断たらしめるには、少なくとも、上記のような飼養管理を経て生産された食物の摂取を拒否しなければならない。拒否できないならば、発言を撤回すべきであろう*4。私のこの指摘に対して、「家畜とペットは違う」と反発したくなる者もいよう。そのように反発する者は、家畜とされる動物とペットとされる動物に道徳的に重要な違いがあることを示さなければならない*5

 

 

*1:Toby Knowles.(2008),Leg Disorders in Broiler Chickens: Prevalence, Risk Factors and Prevention,Public Library of Science ONE

*2:年間2万kg以上の牛乳を産出する牛をスーパーカウと呼ぶ。

*3:家畜が本来もつ生理的特徴を無視した飼養管理によって起こる人為的な疾病を「生産病」という。ヒトで言う生活習慣病に近い。

*4:上記の通り、発言者が撤回しなくても、今後の信頼性の高い調査・研究により、最早これが無意味な非難であることが明らかになる可能性は十分にある。

*5:道徳的に重要な違い……9月9日の記事「'Treat like cases alike.'という原則」を参照。