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ピラビタール

息をこらえて 目を閉じて 夜のふちへ

天安門

今日は1989年の天安門事件から27年目です。ということで、カーマ・ヒントンとリチャード・ゴードンの『天安門』を観ました。天安門事件の推移を再検証した壮大なドキュメンタリーです。あの悲劇を、運動勢力を手放しに賞賛することはせず、政府側を糾弾するためのプロパガンダとしてでもなく、運動がなぜ失敗したのか、冷静にその問題点を浮き彫りにしていきます。

 

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天安門事件と聞くと、民主化を要求した学生や労働者ら運動勢力を善とし、弾圧した政府の側を悪とする単純な構図をイメージする人が多いかもしれません。もちろん武力による弾圧は糾弾すべき蛮行と言えますが、それだけではあの事件の分析にはなりません。


ドキュメンタリーが焦点を当てるのは、民主化運動を挫折に追い込んだ重要な要因である、運動勢力の側の未成熟です。運動は党内部や労働者、都市住民のなかにも支持層を拡大していましたが、その中核的な勢力は学生と知識人でした。しかも知識人は運動の主導権を握られず、中心となった学生はいくつかの派閥に分かれ、内部で権力闘争に明け暮れる始末でした。

あのとき中国共産党趙紫陽を中心とする改革派と李鵬を中心とする保守派に分裂していましたが、運動側もまた一つにはまとまってはいなかったわけです。運動勢力の総司令官を自任する当時23歳の柴玲は、王丹ら穏健派の主張する広場からの撤退に断固反対し、撤退は保守派を喜ばせる行為であり、裏切りであると主張して、「引き際」を失いました。また彼らは、党内の改革派勢力からの連帯の働きかけも拒否し、李鵬との対談も早々と打ち切ることで自らを追い込んでいきました。

学生らには交渉に必要な「譲歩」を受け入れる能力もなければ、労働者や都市住民をも取り込んで勢力を一個に結集させられる指導者もいませんでした。共産党に代替できるような組織もなく、まして共産党独裁を転覆した後の具体的なビジョンなど何も想定されていなかったのです。趙紫陽の立場を考えると、一方で共産党独裁体制の死守を決意する党内守旧派を説得せねばならず、他方では構造的改革を求める急進派や現体制を完全否定する反体制派を満足させねばならず、両者に“挟み撃ち”されて身動きの取れない状態にあったことでしょう。

運動勢力の未成熟は、民主化運動にとって致命的でした。学生らは大衆の影に隠れて自分の発言に責任を持たず、過激なことを叫びました。決して運動の価値を不当に低く評価するつもりではありませんが、けだしそこに個人はおらず、公との連結を重んじる意識も見られなかったのではないでしょうか。党指導者が天安門広場に見たものは、かつて「愛国無罪」「造反有理」を叫び権威に挑戦した紅衛兵と重なる光景だったのかも知れません。