ピラビタール

息をこらえて 目を閉じて 夜のふちへ

「である」と「べき」の断絶 その3

「である」と「べき」の断絶 その2 のつづき

  

世界保健機構(WHO)によると、大麻マリファナの使用がもたらす健康面への急性の影響として、認知能力の発達や精神運動機能への障害があるという。また、慢性の影響として以下のようなものが挙げられる。認知機能が選択的に損なわれ、時にはそれが恒久的なものになること。大麻への依存。統合失調症の悪化。気管および気管支の上皮傷害。肺炎症。感染症に対する肺の抵抗力の低下。胎児の発達障害と出生時体重の減少。これらは、大麻の使用が道徳的に誤りであることを示している。

(ジュリアン・バッジーニ、ピーター・フォスル〔著〕、長滝祥司、廣瀬覚〔訳〕 『倫理学の道具箱』共立出版、p.189、四・八 「である」と「べし」のギャップ)

 

前回の記事まで順を追って読んで頂ければ、上のパラグラフが演繹的に妥当な推論とは言えないことが理解できるだろう。最後の一文を除いて、述べられていることはすべて事実に関する問題である。そして最後の一文で突如「大麻の使用は道徳的に誤っている」という価値判断を下している。事実のみについて言及している前提から、価値判断を下す結論が登場しているのだから、これは「演繹的に妥当な推論」ではない。

 

上のパラグラフを演繹的に妥当な推論にするには、最後の一文の直前に「健康に対して、広い範囲の数々の悪影響を及ぼす製品を消費するのは道徳的に誤りである」という一文を加えればよい。この一文に対して異論はあるかもしれない(他人に害を及ぼさない限り、そうした製品の消費は個人の自由だ、等)。しかし、「その1」で説明した通り、演繹的に妥当な推論は、推論の構造の正しさを保障するものであって、それぞれの前提の正しさには関与しないのであった。したがってこの一文を加えれば、前提の内容自体の正しさは別として、推論の構造としては妥当になるのである。

 

伊勢田哲治は『哲学思考トレーニング』において、「価値的議論は、つねに、前提に価値主張を含むかたちに再構成できる」として、結論に価値判断が導かれている推論の、前提を再構成する操作を提案する。では「その2」で検討した推論H、推論Iを再構成してみよう。

 

推論H-2

前提1 リンは長男である(事実判断)

前提2 長男はしっかりすべきである(価値判断)

結論 リンはしっかりすべきである(価値判断)

 

推論I-2

前提1 動物は人間とは種が異なる(事実判断)

前提2 人間とは種が異なる対象を差別扱いしてよい(価値判断)

結論 動物を差別扱いしてよい(価値判断)

 

このように再構成した場合、これは演繹的に妥当な推論となる(実践的三段論法という)。したがって我々は、推論H-2や推論I-2の主張に反駁するためには、(推論の構造自体は妥当である以上)前提のいずれかの内容に対して反論を加えねばならない。しかしとりあえずは推論H-2も推論I-2も前提1は正しいと見なして、前提2に反論を加えよう。

 

推論H-2の前提2については、「なぜ先に生まれたというだけで重大な責任を帰せられるのか」とか、そもそも「しっかりすべき」とは具体的に何を指すのかと問いただし、さらにその根拠を探るべきであろう。推論I-2については、「なぜ『種』がことさら道徳的に重大な差になるのか、性差や血液型の差や肌の色の差では差別扱いしてはならないではないか」、「そもそも種が異なるとはどういった意味なのか」などと問いただし、さらにその根拠を探ることが可能であろう。いずれにせよ、「長男はしっかりすべきである」という価値判断も、「人間とは種が異なる対象を差別扱いしてよい」という価値判断も、検証には耐えられないであろう。しかし、これらの価値判断について検証するのは今回の記事のテーマではないのでここまでにしよう。

 

さいごに。

質問箱に来ていた質問について、近日中に回答したいと考えているが、考えていることを予告的に述べておく。今回の記事で整理したように、ある価値判断を正当化するために持ち出す根拠は(事実判断のみから演繹的に導くことができない以上)必ず価値判断を伴っていなければならないのであった。しかし、そうすると、無限連鎖に陥るのではないか。根拠を辿っていくと、いずれ、「他者を苦しめてはいけない」「他者の利益に配慮しなければならない」などの、それ自体では根拠を得難い(あるいはそれ自体が既に「根拠」であるとしか言いようのない)価値判断に辿り着くであろう。「他者を苦しめてはいけない」という価値判断は、その正当性を示す根拠を探すことが難しく、むしろそれ自体があらゆる価値判断の正当な根拠としか考えられなさそうな価値判断である*1。この問題はまた日を改めてまとめたい。

 

 

倫理のブラッシュアップ―実践クリティカル・リーズニング応用編

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哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

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*1:「なぜなら他者が苦しむから」と言うのでは同語反復であるし、「苦しめることは悪いことだから」はほとんど同義の変換である。さらに、その根拠を問われればどう答えたらよいのか。