ピラビタール

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デイヴィッド・ベネターの反出生主義

 先日の記事の最後で、「反出生主義」なる思想があることを紹介しました。「私たちは子供を産むべきではない」という考え方であり、その根拠は論者によりさまざまです。現在その論者として特に有名なのは南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターであり、『生まれてこなければよかった――存在することの害悪』(Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence)によって知られています。

 

Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence

Better Never to Have Been: The Harm of Coming into Existence

 

 

 彼の反出生主義は快楽と苦痛の価値に対する非対称性の議論を土台として、分析哲学的な手法によって導出されます。ベネターの論証の核心は「誕生害悪論」とでも呼べるもので、それは「この世界に生まれてくることは、誰にとっても、生まれてこないことより、必ず悪い」という主張です。これは、生まれてきた当人が、自分が生まれてきたことについてどう思っているかとは無関係に、論理的に成立するのだといいます。苦しみに満ちた生を生きている者はもちろん、自分の人生を幸福だと考えている者にとっても、その人の主観とは無関係に、「生まれてきたことは害悪」なのだそうです。*1

 

 もしこの主張が正しいならば、この世に子供を生み出せば、その子は生誕により必ず害悪を被ることになるわけです。つまり、生殖は避けるべき非道徳的な行為ということです。ベネターによれば、誰であれこの世界に誕生(存在を開始)するべきではなかったのであり、またこの先も誕生(存在を開始)させるべきではありません。人類は生殖を控え、その数を減らさなければなりません。存在=害悪は少なければ少ないほどよく、地球上の理想の人口は「ゼロ」人ということになります。荒唐無稽のように思えるこの人類絶滅論ですが、ベネターは以上のことを本気で主張しています。

 

 ベネターは人類の絶滅を「早ければ早いほどよい」としていますが、しかし全人類が一斉に生殖をやめるべきだとは主張しません。というのは、急激な人口の減少は、現存している人類に大きな負担をかけ過ぎてしまうからです。人類の絶滅は必要だが、人口を不用意に急激に減らすことで、現在の世代に害悪を加えることは避けなければならない。こうして、人口減少によって人々が被る害悪をなるべく抑えながら、しかしできるだけ早く、漸進的に人類が絶滅していくべきだとするのです。*2

 

 もちろん、核兵器などにより全人類を一挙に抹殺するような解決案は、ベネターの立場からすると論外です。ベネターの議論はそもそも主体に害悪(たとえば苦痛)を加えてはならないという倫理観を根底においているので、いったん誕生(存在を開始)した人間が死に伴う精神的・肉体的苦痛を被ることは正当化されません。ただし、人格を有する生きている者を殺害することが許されないとしても、人格を有さない胎児は別です。ベネターの見解では意識発生以前(妊娠28週より前)の胎児は「道徳上の地位」を欠いているので、なるべく堕胎されるべきだとします。これは中絶容認ではなく中絶推進という立場であり、プロチョイス (pro-choice)ならぬプロデス(pro-death)の主張です。*3

 

 以上がベネターの反出生主義とその核心である誕生害悪論によって導かれる結論なのですが、ではこの結論はどのような論証によって導かれるのでしょうか。彼の議論はかなり込み入っており、全体像を捉えるのは容易ではありません。また、その論証は破綻していると指摘する学者も少なくないようです。ただし、ベネターの議論が緻密さに欠けるものとしても、生命倫理をはじめとする倫理学の考察に刺激を与え得ることは間違いありません。

 

 これ以上は長くなるので今夜はここまでにして、次回の記事でベネターの「誕生害悪論」の論証のまとめに挑戦してみたいと思います。ちなみに、ベネターの『生まれてこなければよかった』ですが、日本語で出版されるらしいです。ベネターの「反出生主義」を紹介する論文をおそらく日本で一番最初に書いたのではないかと思われる森岡正博先生のツイート↓

*1:ある者にとっての幸福や不幸を問題とする議論であるのに、その議論が価値に関して主観主義ではなく客観主義を採用している点はかなり興味深いです。

*2:前回の記事でも指摘したように、出産の停止による人類の消滅は、論理的には、今生きている私たちの決断と、今妊娠している女性が産む子の決断により、二世代で可能です。

*3:ベネターの議論は、実際は人類だけではなく、感覚を有するあらゆる動物に適用されます。したがって、ベネターの人類絶滅論はより正確には「有感動物絶滅論」とされなければなりません。ベネターの熱心な支持者は、人類が絶滅する前にどのようにして他の動物たちを滅ぼすか、地球上からあらゆる野生動物を消滅させるにはどうしたらいいか、本気で考えているようです。