ピラビタール

息をこらえて 目を閉じて 夜のふちへ

生命倫理と反出生主義

 2016年5月17日に、「生殖を禁止しましょう」という記事を書きました。この記事で私は、以下のような論理から、人類が生殖を控えるべきことを主張しました。

 

生殖・出産は親の利己的行為である。生まれたいかどうかという子供の自由意志を無視しているからだ。人間は生死と誕生を含む全ての活動に自由に主体的に自律的に関わるべきである。この世に生まれ出づるかどうかという、人生で一番大事な決断を他人が下すなんて言語道断ではないか。生まれるかどうかは、当事者であるところの、これから生まれる子供が決めるべき決断である。つまり、受精前の段階で、子供に、この世に生まれ落ちたいかどうか、その意志を確認しなければならない。そしてそのような対話をすることが現実できない以上、導かれる論理的な帰結としては、「生殖をしてはならない」ということになる。他者の自己決定を尊重するならば、私たちは生殖を控えなければならない。

 

 ……馬鹿げた主張かもしれませんね。不可能なことを要求する不毛な議論かもしれません。このような主張を真面目に受け取るかどうかが、大人として成熟しているかどうかの分かれ目になるのかもしれません。ですが、議論の有意義性は置いておいて、論理的な瑕疵は特に見当たらない気がします。

 何年か前から倫理学というものに興味を持ち始め、生命倫理の勉強をするうちに、疑問に思うようになりました。どんな教科書を開いても、子供をつくること、生殖の是非、我々人類が続いていくことの可否について論じたものがないことに。*1

 生殖補助医療や出生前診断、人工妊娠中絶、臓器移植と脳死の問題、終末期医療などなど、我々の生きる現代に生命倫理学のテーマは事欠きません。にもかかわらず、子供を「ただ産むこと」そのものは問題視されないことが不思議でならなかったのですよね。生命を特殊な手段でつくることは問題になるのに、生命を夫婦の自然な行為でただつくることは問題にならない。障害のある子が生まれる可能性がある場合、生殖は重いテーマになるのに、障害のない健康優良児が生まれるであろう場合、生殖はテーマとならない。終末期の生き方や治療方針の選択において、自己決定は重視されるのに、誕生の場面においては自己決定は重視されない。そうした事態が不思議でならなかったのです。

 おそらく、生まれる前に、生まれたいか生まれたくないかを問われたことのある者はどこにもいないでしょう。同意の上でこの世界に産み落とされた者は過去一人たりともいなかったと思われます。他者の自己決定を人類が最初から尊重していたら、人類は最初の一世代で途絶えたでしょう(もちろん、「最初の一世代」などというのは比喩に過ぎず、人類の最初の一世代目と、人類に進化する一つ前の種の最後の一世代との間に線引きをすることなど進化生物学的に不可能です)。これもくだらぬ比喩ですが、生殖が許されるのは「神と動物だけ」であると思っています。

 もし私の論理が広く受けれられれば、人類は緩やかに衰退し、やがて消滅することになります*2。(人類の自己消去は、論理的には、今生きている私たちの決断と、今妊娠している女性が産む子の決断により、二世代で可能です)。苗野さんが以上の主張を本気で実現すべきと唱えているのか、それほど本気ではない机上の考察なのか、そのあたりは読む方の解釈に委ねるものとしてぼかしておきます。

 そんなわけで、産むことの是非、生殖の是非に関する疑問を去年の5月に「生殖を禁止しましょう」という記事にしたのですが、その後に「反出生主義」(アンチ・ナタリズム anti-natalism)という思想があることを知りました。それは「人間は生まれてくるよりも、生まれてこない方がよかった」というペシミズムの思想です。中でも近年特に脚光を浴びているのが「生まれてこなければよかった」という命題に分析哲学の手法から綿密に考察を加えた南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネターです。ベネターも子供を産んではならないこと、地球上の最適な人口はゼロ人であること、したがって人類は緩やかに絶滅すべきことを説くのですが、その根拠は私のそれとはまったく違うものでした。根拠が違うわけですから、私の理想とする世界とは重大なところで相違点もあり、対立するところもあります。

 ベネターがどのような根拠からそのように説くのか、主流の反出生主義*3の思想がどのようなもので、私の考える反出生主義とはどのように異なるのか、後日、私なりにまとめてみたいと思います。

*1:教科書ではないのですが、古牧徳生、他『神と生命倫理晃洋書房で、以下で紹介するデイヴィッド・ベネターの「反出生主義」が考察されています。次田憲和(2016)「われわれは「存在」しなかった方が善いのか?――「反出生主義」の形而上学的分析」

*2:予備校に通っていた頃、小論文の先生に真面目にこの話をしたら、「君の言うようにしたら人類絶滅しちゃうじゃん」と驚かれました。しかし、「人類絶滅しちゃうじゃん」と返すからには「人類がなぜ絶滅してはならないのか」その理由を説明しければならないはずと思います。

*3:主流の、というのは私の反出生主義(私の考え方を「反出生主義」と呼んでよいのならば)を非主流のものとした上での分類です。