ピラビタール

息をこらえて 目を閉じて 夜のふちへ

「である」と「べき」の断絶 その1

ゆび子さんの労力によって、先日『講座 あにまるえしっくす』第4回「人間はそんなに特別なのか?」とコラム2「#トランス女性は女性です」を公開することができました。そしてコラム2では、「事実判断から価値判断を導く」という議論の問題について第5回で扱うと予告しました。ヒュームの法則に言及し、「事実判断のみから価値判断を導くことはできない」、あるいは「それは演繹的に妥当な推論ではない」ということを論じるつもりです。アイデアを整理するために、ここにまとめておきます。

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ビーガンという生き方

 漫画『講座 あにまるえしっくす』の作画担当者が、第3回よりおにぎりさんから紡音ゆび子さんに交代しました。2月6日に第3回「どうして犬を蹴ってはダメなのか?」を公開し、2月12日にコラム1「動物が好き?いいえ、正義の問題です」を公開しました*1。コラム1は、動物解放運動は社会正義の問題であると訴える内容であり、今回の書評を書かせて頂くマーク・ホーソーン『ビーガンという生き方』にも少し通じる内容かなと思います。

 

ビーガンという生き方

ビーガンという生き方

 

*1:なお、コラム1に関して、『ビーガンという生き方』の翻訳者である井上太一さんから、重大なミスを教えて頂きました。実は、シンガー夫妻を招待した女性と、犬猫を飼ってハムサンドを食べていた女性は別人だったのです。要するにお茶の場に女性は2人いたのですね。私は2008年出版の『動物の解放 新版』の序文を参考にこのマンガの原作を作ったのですが、あの序文を読んだらそこにいた女性は1人だったって勘違いしても仕方ないよ!許して下さい。折を見て、あにまるえしっくすのアカウントで訂正ツイートをする予定です。

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レーガンの動物権利論

2018年最後の記事です。前回12月28日に「カントの間接義務論」を論じ、その最後にカント主義からトム・レーガンの動物権利論への接続に触れたので、今回はレーガンの理論についてまとめます。とは言っても、トム・レーガンの書籍は日本語に翻訳されているものが1冊もなく、また原著も難しいです(買ってみたものの、本棚の飾りになっている状態です)。

 

日本語で読めるトム・レーガンのまとまった文章は、ピーター・シンガー[編]『動物の権利』技術と人間に収められているレーガンの「動物の権利」、小原秀雄[監修]『環境思想の多様な展開 環境思想の系譜3東海大学出版会に収録されている「動物の権利の擁護論」(これは1983年のThe Case for Animal Rightsの一部を翻訳したもの)くらいです。なのでこの二編と、あとは動物倫理のテキストから拾えるレーガンの理論を概観して、まとめました。

 

  1. 功利主義
  2. 生の主体
  3. 菜食主義の擁護
  4. 家畜動物がいなくなることについて
  5. 絶滅危惧種について
  6. 人間の権利と動物の権利
  7. 哲学者の仕事と「抑制された熱情」

 

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カントの間接義務論

私はカント倫理学に強い魅力を感じている。難解なカント倫理学のごく一部しか理解していないものの、倫理学の学説の中ではカント倫理学(カント主義)がしっくりくる。

 

カント主義を支持するからと言って、イマニュエル・カントという哲学者の思想や言説をそのまま受け入れることにはならない。カントも一人の有限な存在者として、当時の不合理な慣習や宗教の影響から自由ではなかった。同性愛に対する嫌悪を明確にしていたし、マスターベーションを非難する論調は噴飯ものである。特に、絶対に受け入れられないのは以下に説明するカントの動物観(間接義務論)だ。

 

しかし、慣習の影響を受け入れたカントの限界を笑うのは虚しい。思うに、カント倫理学に学ぶべきはそれが命じる実質的な内容というよりも、その形式である。カントの確立した倫理学の独創的な思考形式にこそ、燦然たる輝きを見出すことができる。

 

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植物の命はいいのか? その3

 「植物の命はいいのか? その2」の続き。

5と6を扱います。

  1. 藁人形論法
  2. 生命は神聖なものではない
  3. 生命の神聖性の人間中心主義
  4. 生命の2つの役割
  5. 経験的生を欠く存在の固有の価値
  6. 生命中心主義

 

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