レーガンの動物権利論
2018年最後の記事です。前回12月28日に「カントの間接義務論」を論じ、その最後にカント主義からトム・レーガンの動物権利論への接続に触れたので、今回はレーガンの理論についてまとめます。とは言っても、トム・レーガンの書籍は日本語に翻訳されているものが1冊もなく、また原著も難しいです(買ってみたものの、本棚の飾りになっている状態です)。
日本語で読めるトム・レーガンのまとまった文章は、ピーター・シンガー[編]『動物の権利』技術と人間に収められているレーガンの「動物の権利」、小原秀雄[監修]『環境思想の多様な展開 環境思想の系譜3』東海大学出版会に収録されている「動物の権利の擁護論」(これは1983年のThe Case for Animal Rightsの一部を翻訳したもの)くらいです。なのでこの二編と、あとは動物倫理のテキストから拾えるレーガンの理論を概観して、まとめました。
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カントの間接義務論
私はカント倫理学に強い魅力を感じている。難解なカント倫理学のごく一部しか理解していないものの、倫理学の学説の中ではカント倫理学(カント主義)がしっくりくる。
カント主義を支持するからと言って、イマニュエル・カントという哲学者の思想や言説をそのまま受け入れることにはならない。カントも一人の有限な存在者として、当時の不合理な慣習や宗教の影響から自由ではなかった。同性愛に対する嫌悪を明確にしていたし、マスターベーションを非難する論調は噴飯ものである。特に、絶対に受け入れられないのは以下に説明するカントの動物観(間接義務論)だ。
しかし、慣習の影響を受け入れたカントの限界を笑うのは虚しい。思うに、カント倫理学に学ぶべきはそれが命じる実質的な内容というよりも、その形式である。カントの確立した倫理学の独創的な思考形式にこそ、燦然たる輝きを見出すことができる。
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植物の命はいいのか? その3
「植物の命はいいのか? その2」の続き。
5と6を扱います。
- 藁人形論法
- 生命は神聖なものではない
- 生命の神聖性の人間中心主義
- 生命の2つの役割
- 経験的生を欠く存在の固有の価値
- 生命中心主義
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植物の命はいいのか? その2
「植物の命はいいのか? その1」の続き。
3と4を扱います。
- 藁人形論法
- 生命は神聖なものではない
- 生命の神聖性の人間中心主義
- 生命の2つの役割
- 経験的生を欠く存在の固有の価値
- 生命中心主義
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植物の命はいいのか? その1
ベジタリアンやヴィーガンに対して頻繁に寄せられる問い、または反論の一つがプランツゾウとも呼ばれる「植物の命はいいの?」です。この問いについては既に『講座 あにまるえしっくす』第2回で扱っています(次回でも少し触れる予定です)ので、敢えて記事にする必要はないと考えてましたが、やはり整理しておこうと思い直しました。この問いにはいい加減うんざりしている方も多いとは思いますが、私としては倫理学の多方面に思考の幅を広げるきっかけともなりました。この記事が誰かの参考になれば幸いです。
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