ピラビタール

息をこらえて 目を閉じて 夜のふちへ

動物実験に関わる獣医倫理およびナントカカントカ

動物倫理について勉強を始めました。「肉食の是非」、「動物飼育の問題」や「野生動物をめぐる問題」など色々なテーマがあります。すべてに興味がありますが、今後の自分に直接関わりが深そうなのはおそらく「動物実験」でしょうね。

 

獣医倫理・動物福祉学―獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠

獣医倫理・動物福祉学―獣医学教育モデル・コア・カリキュラム準拠

 

 

本書は獣医学共用試験の対策テキストです。本書の第5章で、動物実験に関わる獣医倫理について説明されますが、これは「動物倫理学」の教科書ではないため、当然(?)動物実験が必要不可欠であるという前提に立って書かれています。動物倫理学の本では「動物実験の是非」を問い、「正当化されるとしたら、それは如何なる根拠をもつのか」を議論しますが、獣医学生のために書かれた教科書ではもちろんそんなことは問題にしません。あくまで「人道的な」実験のガイドラインが書いてあるだけです。

 

このテキストによれば、「動物実験は科学の進歩、人や動物の健康および福祉にとって必要な行為」だそうです。ノーベル医学生理学賞の約95%が動物実験に関連する研究成果によるもので、その他にも動物実験の必要性を示す多くの例があるのだと強調します。2012年にノーベル医学生理学賞を受賞した山中教授のiPS細胞の研究も、マウスの実験が基盤となっていますね。

 

ところで、動物実験の有効性に疑問を抱く人々も多くいます。人間と動物には「種差」があるのだから、動物実験で得られたデータは必ずしも人間に適用できないという主張です。確かに、種差を考慮しなかった動物実験の結果が、医学の進歩や人類の健康と福祉に悪影響を及ぼした例もあります。*1私は、動物実験が本当に有益なのか、有益なのだとしたらどれほど有益なのか、勉強不足なためわかりません。ただ、ここでは一旦、「動物実験が有益である」ということを仮定として受け入れてみます。

 

しかし、動物実験が有益であるとしても、それがどうして動物実験が「不可欠」であるということの根拠になるのでしょうか。

 

A: 動物実験は有益である。ゆえに、動物実験は不可欠である。

とこのテキストには書いてありますが、有益であるということと不可欠であるということの間に因果関係はあるでしょうか。

B: 動物実験は有益である。しかし、動物実験をしてはならない。

と主張することも可能なはずです。有益であることは不可欠であることの正当な理由にはならないと思います。

 

「医学の進歩には動物実験が不可欠だ」と説く人は、なぜ医学を進歩させるべきなのかを説明しなければならないでしょう。「動物実験は人間や動物の健康および福祉の向上に貢献するから必要だ」と述べる人は、「なぜ健康や福祉を向上させるべきなのか」を説明しなければならないでしょう。「向上しなくても、別に停滞してもよいではないか」と問われたときに、論理的に答えられるのでしょうか。

 

極端な話ではありますが、「この動物実験をしないと人類が死滅してしまう」ということが仮に起きた場合、「なぜ人類が死滅してはいけないのか」「なぜ人類を存続させる必要があるのか」を明確に説明できなければいけないし、「人類が死滅したからと言って他の動物は困らないのになぜ彼らを犠牲にするのか」を問わなくてはいけないと思います。(私は、人類がこの地球に存続しなければならない理由、明日も生きなければならない理由はこれと言って特にないと思います。)

 

やや脱線してしまいましたが、動物実験が人類の健康にとって(ひいては動物の健康にとっても)有益であるということを仮に示すことができたとしても、「有益であるがゆえに必要である、不可欠である」と主張するのは論理の飛躍ではないかと思うのです。

 

動物実験を擁護してその必要性を説く倫理学者っているのでしょうかね。探してみます。

*1:サリドマイドは、ほとんどの動物で悪影響が見られなかったのに、人間に深刻な事態を引き起こした例です。逆に、ペニシリンは人間にとって有用な抗生物質ですが、実験動物であるギニア豚に対して致命的なダメージを与えたため、動物実験の段階で開発が差し止められました。動物実験を経たがために開発に時間がかかった例です。

生殖を禁止しましょう

子供を産んではいけないと思います。なぜか。生まれたいかどうかという子供の自由意志を無視しているからです。胎児の時点で「生まれたいかどうか」を尋ね、胎児が「yes」と答えた場合に限り産むべきです。そうしないと、胎児が「生まれたくない」と望んでいるにも拘わらず、その意志を無視してこの世に産み落とすという、極めて残酷な行為をすることになりかねません。そして「yes」という返答がない以上、子供を産んではいけません。

いや、胎児の時点で聞くのは遅いのかもしれません。すでに命ある個体になっているのだから。本当は、受精前の段階で尋ねるべきでしょう。命として誕生したいかどうかを。そしてそのような対話をすることが現実できない以上、生殖をしてはいけません。あらゆる生殖・出産は親の利己的行為であり、他人の自己決定を無視した行為であることを前提とすべきです。

人間は生死を含む全ての活動に自由に主体的に自律的に関わるべきです。この世に生まれ出づるかどうか、そんな人生で一番大事な決断を、他人が下すなんて言語道断です。生まれるかどうかは、当事者である、これから生まれる子供が決めるべきことです。*1

他者の自己決定を尊重する精神が初めから人類にあれば、人類が人類として誕生したその一世代目で終わったはずなのに。今日も私たちは子供の自己決定を無視して産み落とし、増え続けています。

*1:「子供を産むかどうかは当事者である両親が決めるべきことだ」という見解をよく目にしますが、とんでもないことです。当事者は親ではありません。当事者はこれから生を与えられる者です。